瓦礫沈淪と牆壁瓦礫

似たような言葉の出所を探る

1.瓦礫沈淪

 「ガレキチンリン」と読む、「瓦や小石の如く沈んでいた境遇」
   瓦・・・かわら、かわらけ
   礫・・・砂よりも大きい岩石片
   沈・・・しずむ、しずめる
   淪・・・しずむ、おちぶれる

 1581年(天正9)6月2日
   明智光秀が定めたとされる18条からなる「家中軍法」
     現物は、御霊神社が所蔵している

   戦場での規律や軍役の基準などが書かれている
     石高に応じて馬や鉄砲、槍などの供出する数を定めており、
     光秀が領地で検地を行っていたことがうかがえる

   その中に自分を取り立ててくれた
     織田信長に対する感謝の気持ちが書かれている

   作成されたのは、本能寺の変が起きるちょうど1年前

家中軍法1


家中軍法2

 現代語訳(文書の最後の部分)
右のとおり軍法を定め置くうえは、実戦経験者はなお精進を怠らず、未熟の者はよく理解せよ。私は瓦礫沈淪のような低い身分から、信長さまに取り立てられて、このような莫大な軍勢を任されるまでになった。

軍律もよくわきまえず、武勇も功績もあげない者は、国家(織田家)の穀つぶしで、公のものを掠〈かす〉め取るにも等しい。日々精進している者からは軽蔑・嘲笑の対象にもされるであろう。奮起して抜群の功績をあげたならば、必ず信長さまに報告し、重く取り立てるであろうから、この家中軍法をよく守ってほしい。 天正九年六月二日 日向守光秀

2.牆壁瓦礫

 「ショウヘキガリャク」と読む、「すべての物事」
   牆・・・土の塀
   壁・・・かべ
   瓦・・・かわら
   礫・・・こいし

 1231年~1253年、道元が著した正法眼蔵(87巻=75巻+12巻)
   75巻のうち9巻目「古仏心」より抜粋

   国師因僧問、如何是古仏心
   師云、牆壁瓦礫。

   ある僧が、ある時、南陽慧忠に、
   「いかならんか、これ古仏心?」と質問した。
   南陽慧忠は、「牆壁瓦礫」と応えた。

   南陽慧忠国師(震旦国第六祖大鑑慧能の弟子)は中国皇帝の師匠
     「古仏心」は、「古仏」をあらしめるものではあるが、
     それは古仏だけが、その内部に固有に保有する特別な存在ではなく、
     「牆壁瓦礫」に代表される周辺世界全体の構造を包括的に示すもの
     「古仏」は一事象に集約して示し、伝授せしめる存在

       内外の逆転現象が存在していると解釈するもの

   道元禅師の拈提は、
     「無情」を含めたすべての存在が、そのままに古仏心であるとする
     
       万法を悟りとして見たもの

3.まとめ

 似てはいるが、年代に開きがあり過ぎて両者に繋がりがあるとは思えない