1.古語の歌詞と現代語訳
| 螢の光 窓の雪 ふみよむ月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を あけてぞ今朝は 別れゆく | 蛍の光や、窓に積もる雪明かりで 苦労しながら勉強した日々を重ね いつのまにか年月が過ぎ 今日の朝、門を開けて別れの時を迎える |
| とまるも行くも 限りとて かたみに思う ちよろずの 心のはしを ひとことに さきくとばかり 歌うなり | 残る人も去る人も、これが最後と思い お互いに抱く数えきれない思いを ほんの一言に込めて「幸あれ」と歌っている |
| 筑紫のきわみ 陸の奥 海山遠く へだつとも その真心は へだてなく ひとえにつくせ 国のため | 九州の果てや本州の奥地など 海や山で遠く離れても 真心まで離れることはない ひたすら国のために尽くそう |
2.意味
| 苦労して勉学に励んだ日々を振り返り 学びの場(学校・師・仲間)から旅立つ場面 卒業・旅立ちの情景 |
| 別れる側・残る側の双方の気持ち 言葉にしきれない感謝や願い 「どうか幸せでありますように」という祈り |
| それぞれ別の土地へ行っても 志や心は一つ 社会・国のために役立つ人間になろうという決意 |
3.『晋書』とは
晋は春秋時代の国
西晋・・・265年~316年
東晋・・・317年~419年
晋書は唐代に編纂された中国の正史(二十四史の一つ)
晋(西晋・東晋)の歴史と人物伝を記す
『晋書・列伝』の『車胤伝』と『孫康伝』に詳しい
シャイン ソンコウ と呼ぶ
4.晋書の原文
| 胤恭勤不倦,博学多通。 家貧不常得油, 夏月則練囊盛數十螢火以照書, 冬月則映雪讀書。 | 胤は恭しく勤めて倦ウまず、博学にして多く通ず。 家貧しくして常に油を得ず、 夏の月には、すなわち練りし嚢フクロに數十の螢火を盛りて書を照らし、 冬の月には、すなわち雪に映して書を読む。 | 車胤は真面目で勤勉、疲れることを知らず、学問に広く通じていた。 家が貧しく、いつも灯油を手に入れることができなかった。 夏には白い袋に数十匹の蛍を入れて、その光で書物を読み、 冬には雪に反射する明かりを利用して読書した。 |
| 康家貧,無油, 常映雪讀書。 清介交游,立志不苟。 | 康は家貧しく、油無し。 常に雪に映して書を読む。 清介にして交游し、志を立てて苟イヤしくせず。 | 孫康は家が貧しく、灯油がなかったため、 いつも雪明かりで書物を読んでいた。 人付き合いは清く正しく、 志を立てて、いい加減なことをしなかった。 |
5.蒙求モウギュウとは
児童用の教科書、三巻
中唐の李瀚リカンの著、745年成立
上古から南北朝時代までの著名人の伝記や逸事を、
四字一句、二句で一対とし、八句ごとに韻を変え、
合計569句を収める
6.蒙求モウギュウの原文
孫康映雪 車胤聚蛍 そんこうえいせつ しゃいんしゅうけい
| 晋車胤字武子、南平人、恭勤不倦、博覧多通、家貧不常得油、夏月則練嚢盛数十蛍火、以照書、以夜継日焉、桓温在荊州、辟為従事、以辯識義理、深重之、稍遷征西長史、遂顕於朝廷、時武子與呉隠之、以寒素博学知名于世、又善於賞會、當時毎有盛坐、而武子不在皆云、無車公不楽、終吏部尚書 | 晋の車胤シャイン、字は武子ブシ、南平ナンペイの人なり。恭勤にして倦まず、博覧多通。家貧にして常には油を得ず。夏月カゲツには則ち練嚢レンノウに数十の蛍火ケイカを盛り、以て書を照らし、夜を以て日に継ぐ。桓温カンオン荊州に在り、辟メして従事と為す。義理を辯識ベンシキするを以て、深く之を重んず。稍ヨウヤく征西の長史に遷ウツり、遂に朝廷に顕アラワる。時に武子と呉隠之ゴインシ、寒素博学を以て名を世に知らる。又賞會ショウカイに善し。當時トウジ盛坐セイザ有る毎ゴトに、武子在らざれば皆云う、「車公無くんば楽しからず」。吏部尚書リブンショウショに終る | 晋の車胤は字を武子といい、南平というところの人である。あきることなく勉学に励んで、あらゆる本を読み、多くのことに通じていた。家が貧しくていつも灯油が手に入るわけではなかったので、夏は練り絹の袋に数十匹の蛍を入れて、その明かりで書物を照らし、夜を日に継いで勉強した。桓温が荊州にいたとき、召して従事(属官)としたが、物事の理非をわきまえているというので、深く重んじた。次第に出世して征西将軍の長史(書記長)になり、朝廷にも名が知られるようになった。当時、呉隠之とともに貧しい境遇にもかかわらず物知りであるということで有名だった。また彼は、宴席での振る舞いがうまく、大きな宴会に彼がいなければ皆、「車公がいないと面白くない」 と言った。吏部尚書に昇進して生涯を終わった |
| 孫氏世録曰、康家貧無油、常映雪読書、少小清介、交遊不雑、後至御史太夫 | 孫氏世録ソンシセロクに曰く、康コウ、家貧イエヒンにして油無し。常に雪に映じて書を読む。少小ショウショウより清介セイカイ、交遊雑ならず、後に御史太夫に至る | 孫氏世録に曰く、孫康の家は貧しくて灯油を買えず、いつも雪に映る明かりで本を読んでいた。幼少より潔癖な性格で、友達を選んで交遊した。後には御史太夫(副首相)にまで出世した |
7.人物像
車胤・・・?~ 400年
中国の魏晋南北朝時代、東晋末期の政治家
家は貧しく、灯火のための油を得ることが出来なかったので、
夏には絹の袋に数十匹の蛍を集め、
その光で書物を照らして昼も夜も勉強に励んだ人物
孫康・・・生没年不詳
劉宋の官吏
貧困な幼少時代にも学問に打ち込み、立身した人物として名が挙がる