中根東里 新瓦

1.漢文(原文)と読み下し文

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新 瓦
        門人下毛須藤温 校
延享三年丙寅予居于下毛知松菴是歳冬家弟叔德以其幼女芳子至自相模因屬芳子於予而還明年丁卯夏芳子纔四歳未可誨也而予老矣故叙所聞以爲一編畫鳥獸於端飾以朱緑名曰新瓦乃使芳子弄之庶乎遂能讀之以私淑也不然凡百君子將或以此誨芳子焉則予雖死亦不朽矣其辭曰
新瓦シンガ
門人 下毛須藤温スドウオン 校
延享三年丙寅、予下毛知松庵チショウアンに居す。是歳の冬、家弟叔徳シュクトクその幼女芳子を以て相模より至る。
因りて芳子を予に属して還る。明くる年丁卯、夏、芳子纔ワズカに四歳にして未だ誨オシうべからざるも、而るに予老いたり。故に聞く所を叙ジョして以て一編を為し、鳥獣を画きて端タンに飾り、朱と緑を以てし、名づけて新瓦シンガと曰う。
乃ち芳子をして之を弄モテアソばしめ、庶コイネガワくは遂に能く之を読みて以て私淑シジュクせんことを。
然らずんば、凡百ボンビョクの君子将に或は此を以て芳子を誨オシえんか。
則ち予死すと雖も亦朽ちざるべし。其辞ジに曰く
咨汝芳子汝相模人也何爲遠來居於下毛此汝父不能庇汝以爲我艱其薄才拙謀誠可笑也雖然以汝觀之其哀哀者孰大於是吾將語之徃年甲子春二月二十四日汝母纔生汝未及擧汝而違世矣則愍汝憂汝者唯汝父與汝外祖母也我之愍汝雖不如汝父亦當與汝父同憂焉然相去四十里徒憂汝耳於汝何益哉汝父雖愍汝而汝之鞠則不如汝母也惟其不如汝母也是以愍汝益深愍汝益深故凡所以鞠汝者莫不至矣則雖汝母亦無以加焉其所闕者乳耳家貧不得爲汝買乳婢則乞乳於人之婦焉汝之啼也抱而就之然汝未能多飲纔飽則已少焉復饑饑則復啼汝父安得不數往而乞焉乍往乍還日夜不輟如此者數月終爲其人所厭矣於它婦也亦如之故不得已乃代乳以糜豈不悲哉然汝父躬自爲之飪不失宜多寡有節與之以時故汝雖不得乳亦未嘗瘠且無病矣是汝父能應其變以完汝也夫親之於子也父生之母鞠之若汝父非唯生汝
而又鞠焉此乃兼父母之德而其勞苦又如是汝豈忍忘之哉
汝芳子に咨トう。
汝相模の人なり。何為ナンズれぞ遠く来たりて下毛に居る。此れ汝の父汝を庇オオうこと能わずして、我艱カタムけるを以て薄才拙謀ハクサイセツボウ誠マコトに笑うべしと為すか。然りと雖も汝を以て之を観るに、其の哀々たる者孰イズれか是より大なる。吾将に之を語らん。往年オウネン甲子の春二月二十四日、汝の母纔ワズカに汝を生み、未だ汝を挙ぐるに及ばずして世を違サりき。則ち汝を愍アワレみ汝を憂うる者は、唯汝の父と汝の外祖母とのみ。我の汝を愍むこと汝の父に如シかずと雖も、亦当に汝の父と同じく憂うべし。然るに相去ること四十里、徒に汝を憂うるのみにて汝に於オいて何の益かあらん。汝の父汝を愍アワレむと雖も、汝の鞠ヤシナいは則ち汝の母に如かず。惟其の汝の母に如かざるは、是れを以て汝を愍むこと益々深く、汝を愍むこと益々深き故に、凡オヨそ汝を鞠ヤシナう所以ユエンの者は至イタらざる莫ナし。
則ち汝の母と雖も亦以て加クワうる無ナけん。其の闕カくる所は乳のみ。家貧しく汝の為に乳婢チチヒを買うことを得ず。則ち乳を人の婦に乞う。汝の啼くや抱きて之に就く。然るに汝未だ多く飲むこと能わず、纔ワズカに飽けば則ち已ヤみ、少く焉シテ復た饑ウえ、饑ウえれば則ち復た啼く。汝の父安イズクんぞ数々シバシバ往きて乞コわざるを得ん。乍タチマチ往き乍還り、日夜輟ヤまず。此カクの如き者数月にして終に其の人の厭イトウう所と為りき。它タの婦に於いても亦之の如し。故に已ヤむを得ず乃ち乳に代えて糜カユを以てす。豈悲しからずや。然るに汝の父躬ミズカラら之を為し、飪ニるに宜ヨロしきを失わず、多寡タカ節有りて、之を時を以て与えし故に、汝乳を得ざると雖イエドも亦未だ嘗カツて瘠ヤせず、且つ病無し。是れ汝の父能く其の変に応じて汝を完マットウせしなり。夫れ親の子に於けるや、父之を生み母之を鞠ヤシナう。若し汝の父は唯汝を生むのみに非ずして、又鞠ヤシナう。此れ乃ち父母の徳を兼て其の労苦又是の如し。汝豈忍シノびて之を忘るる哉カ。
咨汝芳子曩者汝父之鞠汝也不唯鞠汝亦不可以不自食焉苟不自食焉無以鞠汝故託汝於西家之嫗而從事於市將多得錢以與其人而使厚養汝且以自食焉亦不得已耳於是竭心窮力任重忍難日行數里營營汲汲莫或遑處然錢不可多得而所以與嫗者或未備也吾雖遺之錢猶未足以補其闕也則欲使嫗不觖望而遷怒於汝其可得乎此汝父之憂所以愈深也吾明告汝昔者吾與汝父寓於江都其鄰之婦貪而虐人皆惡之竊號爲狼狼嘗養人之兒以受其直直之未入也愛兒如子既得其直則如棄焉此其所以爲狼也兒纔三歳其始至也豐頰善笑甚可愛也未幾其憔悴不忍見也是何故哉饑不必得食渇不必得飲誰携之使行誰定之使寐口未能辯心未能慮自投而泣恐其將見怒於狼也不敢出聲怫鬱泣血如幽囚然又有群兒侮之唾其面紾其臂擢其髮爪其膚使其號泣以爲嬉戲而狼不禁焉豈徒不禁焉又從而笑之見其父來則僞愛兒抱
之撫之使笑且言欲以欺其父不亦狡乎夫飢者易爲食渇者易爲飲今此兒也唯狼之虐是畏敢望其慈故纔見抱載笑載言悲夫父見兒之憊也泫然涕下豈不察其所由哉不敢言耳且欲以慰兒故笑而見之兒亦見父顔如解倒懸見齒而笑乃言曰君來君來其喜愈甚而愈可悲也於是父寘兒于懷與之飲食從其所欲使極歡焉然後去其將去也慮兒之弗許故不敢告以實予之菓子若木偶以怡恱之然後紿曰如厠或曰如鄰兒則許之而未能請其早還也笑而送之父之去也纔出其門則木偶及菓子盡爲群兒所奪而不能與爭也呼父而啼啼極而寐寤則復啼吾與汝父不忍聞其聲也遷坐而食猶未能飽况其父乎彼度兒之將如此也豈不膓回魂飛哉然不得淹留以順適之蓋其所事急於此也於是父子不相見或二三日或五六日數月之間大氐如是而皆病矣自此以往吾不得而知焉夫汝之於嫗也亦此類耳然而未至於此極者以汝外祖母在其鄰
也此雖不得養汝然未嘗斯須忘汝也苟得甘脆輙以賜汝汝之啼也趨而視之且數饋嫗魚及菜菓以致敬焉嫗甚憚之是以不敢輕汝而肆其虐汝父頼之去年丙寅秋九月汝外祖母亦没矣則汝父無以爲助焉江都之事將於汝乎見之是以不忍復與汝別將賣什器以鞠汝猶恐終無以完汝也冬十一月來謀諸我我恐嫗之將虐汝也未及問其詳乃讓汝父以不與汝偕來曰此投肉於虎而冀其不食也豈可得乎於是使汝父速還迎汝然後計日以俟是時也天將雨雪寒威可畏吾又謂汝不能來其必死矣借使不死能無病乎則雖欲來不可得矣天之未汝亡也雪不果下寒威忽減道路無虞故汝父得遄臻于西家及汝之未死而救之矣然而汝困憊已甚泄利數日張如鼓頭生瘍衣帶枕席二溲成氷蟣蝨縄縄雖見父來而不能起又不敢言唯目逆之汝父既更汝衣又以身嫗汝抱以還家鞠之如初且使飲藥經二三日而後汝纔言且笑然泄利未已食飲尚少
不可以風故汝父欲暫家居以待汝全愈且以自休然後發焉既而又謂囊中之錢纔足以治裝若曠日以費之不可往矣天雖寒乎路雖遠乎安得已焉且汝之在西家也奚翅天寒然汝已得不死況在我懷抱乎我之適市也奚翅路遠然吾未嘗以自休況與汝倶往乎遂發置汝於襁褓日行十里不能十里如其費何東有啓明西有長庚大明南至厲風北來是月甲寅二十三日宿于戸塚汝猶泄利乙卯宿于江都汝始善食丙辰宿于杉戸泄利乃愈丁巳至于知松菴是歳汝父年五十當此祈寒浹辰之間跋渉往來百二十里而其窮苦又如是雖云矍鑠吾未嘗不爲之惴惴也
汝芳子に咨トう。
曩者サキゴロ汝の父の汝を鞠ヤシナうや、唯汝を鞠うのみならず、亦自ら食ショクせざるべからず。苟イヤシクも自ら食せざる焉ニは、以て汝を鞠うこと無し。故に汝を西家セイカの嫗オウナに託して市に従事し、将に多く銭を得て以て其の人に与え、厚く汝を養わしめ、且以て自ら食せんとす。亦已ヤむを得ざるのみ。是ココに於いて心を竭ツクし力を窮キワめ、重きを任せ難カタきを忍び、日に数里を行き、営々汲々として、或は遑イトモある処莫ナし。然シカるに銭多く得べからずして、以て嫗に与うる所或アルイは未だ備わらざるなり。吾之に銭を遺オクると雖も、猶以て其の闕カくるを補オギナうに足らず。則ち嫗をして觖望ケツボウせずして汝に遷怒センヌせしめざらんと欲するも、其れ得べけんや。此れ汝の父の憂い所以に愈々イヨイヨ深きなり。吾明に汝に告げん。
昔者ムカシ、吾と汝の父と江都コウトに寓グウせしに、其の隣の婦は貪にして人を虐げ、人皆之を悪ニクみ、窃ヒソカに狼と号す。狼嘗カツて人の児を養ヤシナいて以て其の直チョクを受く。直の未だ入らざるや、児を愛すること子の如し。既スデに其の直を得れば則ち棄スつるが如し。此れ其の狼と為ナる所以なり。児纔ワズカに三歳、其の始め至るや豊頰ホウキョウにして善ヨく笑い、甚だ愛すべかりき。未幾ホドナクして其の憔悴ショウスイして見るに忍びざるは何故ぞ。饑ウえて必ず食を得ず、渇きて必ず飲を得ず。誰か之を携タズサえて行かしめ、誰か之を定めて寐イねしめん。口クチ未だ弁ずること能わず、心未だ慮オモンバカること能わず。自ら投トウじて泣き、其の将に狼に見怒ケンヌせられんことを恐れて敢アエて声を出イダさず。怫鬱フツウツ泣血キュウケツして幽囚ユウシュウの如し。
又群児グンジ有りて之を侮り、其の面に唾し、其の臂ヒを紾ムシり、其の髪を擢ヌき、其の膚ハダを爪し、其の号泣せしむるを以て嬉戯キギと為し、而シカるに狼之を禁ぜず。豈アニ徒タダ禁ぜざるのみならず、又従って之を笑う。其の父の来るを見れば則ち偽イツワりて児を愛し、之を抱き之を撫ナでて笑わしめ、且言いて以て其の父を欺かんと欲す。亦マタ狡コウならずや。夫れ飢える者は食を為し易ヤスく、渇ける者は飲を為し易し。今此の児や、唯タダ狼の虐シイタゲを是畏れ、敢て其の慈ジを望まんや。故に纔ワズカに抱載ホウサイを看ミて笑みを載ノせ言ゲンを載ノす。悲しいかな。父児の憊ツカれるを見て、泫然ゲンゼンとして涕下る。豈其の由ヨる所を察サッせざらんや。敢て言わずのみ。且以て児を慰ナグサめんことを欲する故に、笑いて之を見る。児も亦父の顔を見て倒懸トウケンを解トくが如く、歯を見て笑い乃スナワち言いて曰く、「君来たり、君来たり。」其の喜び愈々イヨイヨ甚だしくして愈々イヨイヨ悲しむべし。是に於いて父児を懐に寘き、之に飲食を与え、其の欲する所に従い、極めて歓カンせしむ。然る後去る。其の将に去らんとすや、児の弗フツ許キョせんことを慮オモンバカり、故に敢て実を告げず。之に菓子若しくは木偶モクグウを与えて以て怡恱イエツせしむ。然る後紿イツワりて曰く、厠に如ユく、或は曰く、隣児リンジに如ユく。則ち之を許すも、未だ其の早還ソウカンを請コうこと能わず。笑いて之を送る。父の去るや、纔ワズカに其の門を出ずれば則スナワち木偶モクグウ及び菓子は尽コヨゴトく群児の奪う所と為りて与トモに争うこと能アタわず。父を呼びて啼き、啼き極まって寐イね、寤サむれば則ち復た啼ナく。吾と汝の父は其の声を聞くに忍びず。坐ザを遷ウツして食すも猶ナオ未だ飽きず。況イワんや其の父をや。彼児の将マサに此カクの如からんことを度ハカるや、豈アニ膓ハラワタ回メグり魂タマシ飛ばざらんや。然るに淹留エンリュウして以て順適ジュンテキせしむることを得ず。蓋ケダし其の事をなす所)此れより急なるなり。是に於いて父子相見ず、或は二三日、或は五六日。数月の間大抵タイテイ是の如くにして皆病めり。此より以て往ユくは吾得て知るべからず。夫ソれ汝の嫗に於けるや、亦此の類タグイのみ。然シカれども未だ此の極に至らざるは、汝の外祖母の其の隣に在るを以てなり。此れ汝を養うことを得ずと雖も、然るに未だ須臾シュユも汝を忘るるに嘗カッてせず。苟イヤシクも甘脆カンゼイを得ば輙スナワち以て汝に賜タマう。汝の啼くや趨りて之を視る。且数シバシバ嫗に魚及び菜菓を饋オクりて以て敬を致す。嫗甚だ之を憚ハバカる。是れを以て敢て汝を軽んじて其の虐を肆ホシイママにせず。汝の父之を頼む。
去年丙寅秋九月、汝の外祖母も亦マタ没せり。則ち汝の父助けを為ナす以て無し。江都コウトの事将に汝に於いて之を見ん。是れを以て復た汝と別るるに忍びず。将に什器を売りて以て汝を鞠ヤシナわんとす。猶終に以て汝を完マットウすること無からんことを恐る。冬十一月来たりて我に謀る。我嫗将に汝を虐げんことを恐れ、未だ其の詳しきを問うに及ばず乃ち汝の父を譲りて汝と偕トモに来らざるを以て曰く、「此れ肉を虎に投げて其の食せざらんことを冀コイネガうなり。豈得ウべけんや。」是に於いて汝の父をして速に還(かえ)り汝(なんじ)を迎(むか)えしめ、然(しか)る後(のち)日(ひ)を計(はか)りて以(もっ)て俟(ま)つ。是(こ)の時(とき)也(や)、天(てん)将(まさ)に雨雪(うせつ)ならんとし、寒威(かんい)畏(おそ)るべし。吾(われ)又(また)汝(なんじ)の来(きた)る能(あた)わずば其(そ)れ必(かなら)ず死(し)せんと思(おも)えり。借使(かりそめ)に死(し)せずとすとも、能(よ)く病(やまい)無(な)けんや。則(すなわ)ち来(きた)らんと欲(ほっ)すると雖(いえど)も得(え)べからず。天(てん)の未(いま)だ汝(なんじ)を亡(ほろ)ぼさざるや、雪(ゆき)果(はた)して下(くだ)らず、寒威(かんい)忽(たちまち)減(げん)じ、道路(どうろ)虞(おそ)れ無(な)かりき。故(ゆえ)に汝(なんじ)の父(ちち)は遄臻(せんしん)して西家(せいか)に及(およ)び、汝(なんじ)の未(いま)だ死(し)せざるに及(およ)びて之(これ)を救(すく)うことを得(え)たり。然(しか)れども汝(なんじ)困憊(こんぱい)已(すで)に甚(はなは)だしく、利(り)を泄(も)らすこと数日(すうじつ)、張(ちょう)すること鼓(つづみ)の如(ごと)く、頭(こうべ)に瘍(よう)を生(しょう)じ、衣帯(いたい)枕席(ちんせき)二溲(にそう)氷(こおり)と成(な)り、蟣蝨(きしつ)縄縄(じょうじょう)たり。父(ちち)の来(きた)るを見(み)ると雖(いえど)も起(お)くること能(あた)わず、又(また)敢(あえ)て言(い)わず。唯(ただ)目(め)を以(もっ)て之(これ)を逆(むか)う。汝(なんじ)の父(ちち)既(すで)に汝(なんじ)の衣(ころも)を更(か)え、又(また)身(み)を以(もっ)て汝(なんじ)を嫗(あたため)し、抱(いだ)きて家(いえ)に還(かえ)り、之(これ)を鞠(やしな)うこと初(はじ)めのごとくし、且(かつ)薬(くすり)を飲(の)ましめ、二三日(にさんにち)を経(へ)て後(のち)汝(なんじ)纔(わずか)に言(い)い且(かつ)笑(わら)う。然(しか)れども利(り)を泄(も)らすこと未(いま)だ已(や)まず、食飲(しょくいん)尚(なお)少(すくな)く、風(かぜ)を以(もっ)てすべからず。故(ゆえ)に汝(なんじ)の父(ちち)は暫(しばら)く家居(かきょ)して以(もっ)て汝(なんじ)の全癒(ぜんゆ)を待(ま)ち、且(かつ)以(もっ)て自(みずか)ら休(やす)み、然(しか)る後(のち)発(はっ)せんと欲(ほっ)す。既(すで)にして又(また)謂(おも)うに、嚢中(のうちゅう)の銭(ぜに)は纔(わずか)に治装(ちそう)を為(な)すに足(た)るのみ。若(も)し日(ひ)を曠(むだ)にして之(これ)を費(つい)やさば往(ゆ)くべからず。天(てん)寒(さむ)しと雖(いえど)も路(みち)遠(とお)しと雖(いえど)も安(いん)ぞ已(や)むを得(え)ん。且(かつ)汝(なんじ)の西家(せいか)に在(あ)るや奚翅(なんぞただ)天寒(てんかん)ならんや。然(しか)るに汝(なんじ)已(すで)に死(し)せざるを得(え)たり。況(いわ)んや我(わが)懐抱(かいほう)に在(あ)らんや。我(われ)の市(いち)に適(ゆ)くや奚翅(なんぞただ)路(みち)遠(とお)からんや。然(しか)るに吾(われ)未(いま)だ嘗(かつ)て以(もっ)て自(みずか)ら休(やす)まざりき。況(いわ)んや汝(なんじ)と倶(とも)に往(ゆ)かんや。遂(つい)に発(はっ)し、汝(なんじ)を襁褓(きょうほう)に置(お)き、日(ひ)に十里(じゅうり)を行(ゆ)く。十里(じゅうり)を能(よ)くせざれば其(そ)の費(ひ)を如何(いかん)せん。東(ひがし)に啓明(けいめい)有(あ)り、西(にし)に長庚(ちょうこう)有(あ)り。大明(たいめい)南(みなみ)に至(いた)り厲風(れいふう)北(きた)より来(きた)る。是(こ)の月(つき)甲寅(きのえとら)二十三日(にじゅうさんにち)、戸塚(とづか)に宿(しゅく)す。汝(なんじ)猶(なお)利(り)を泄(も)らす。乙卯(きのとう)江都(こうと)に宿(しゅく)す。汝(なんじ)始(はじ)めて善(よ)く食(しょく)す。丙辰(ひのえたつ)杉戸(すぎと)に宿(しゅく)す。利(り)を泄(も)らすこと乃(すなわ)ち愈(い)ゆ。丁巳(ひのえみ)知松庵(ちしょうあん)に至(いた)る。是歳(このとし)汝(なんじ)の父(ちち)年(とし)五十(ごじゅう)。此(こ)の祈寒(きかん)浹辰(しょうしん)の間(かん)に当(あた)り、跋渉(ばっしょう)往来(おうらい)百二十里(ひゃくにじゅうり)にして、其(そ)の窮苦(きゅうく)又(また)是(かく)の如(ごと)し。矍鑠(かくしゃく)と云(い)うと雖(いえど)も、吾(われ)未(いま)だ嘗(かつ)て之(これ)が為(ため)に惴々(ずいずい)たらざるは無(な)し。
咨汝芳子汝之初至於斯也雖與汝父倶然以憚我故未嘗見齒終日塊然坐於一處而無爲矣見者或謂此將死不能長矣吾與汝父亦以爲憂然汝父又將從事焉不可以不早還相模雖欲暫留以待汝親我豈可得乎其將行也與汝菓子而別且誡汝曰唯伯父之命是從亦可悲也而汝未有悲色不知其遠行也及至日暮而後思之乃泣曰君不在君不在吾雖爲之悲抱汝負汝強笑多言以慰諭汝然未能止其泣也汝非唯於汝父爲然凡愛汝者汝亦愛之其來也喜其去也悲由此觀之自汝外祖母之終也汝父恐嫗之將虐汝故不敢離西家及其來與我謀則無若之何而汝之所以泣者豈唯如此哉於斯之時西家之人皆將助嫗爲虐豈有慰汝如我者哉若使汝禀氣甚薄乎死矣或如成人戀戀戚戚以薫心焉亦死矣或使汝父迎汝少安亦死矣吾毎念此未嘗不寒心也汝父亦能寛裕含訽包荒以小不忍爲傷勇焉故雖至於此極亦未必如吾所慮也不然安能
甚其憂而活汝於將死乎是時也有謂汝父不慈而惡諸我者不亦異乎夫慈之義大矣固非汝父之所能盡也然父子之愛天性也其誰無之今世之人所以失之者三焉貧也窮也貪也貪者易之窮者忘之貧者忍之於是乎有飲藥以自敗其胎者有憂多費而不擧子者有男則擧之女則否者有鬻嬰兒而衣食之者有棄嬰兒於道路以自逸者斯數者豈人之所爲哉非唯人不爲雖鳥獸乎亦不爲也夫貪者吾不論也貧而不忍窮而無忘是謂守節守節爲士唯士也可與言慈已吾聞其語矣未見其事也今於汝父纔見之矣豈不足以爲偉哉而謂之不慈則吾不信也若使汝父毎事如此其誰間之曽是不意所以受其名也詩曰采葑采菲無以下體汝父有焉吾懼衆口之罔極也故明辨之而詳言之不唯爲汝父解嘲焉亦將使汝深考其德而篤信之庶乎雖有讒人亦無如汝何矣
汝(なんじ)芳子(よしこ)の初(はじ)めて此(ここ)に至(いた)るや、汝(なんじ)の父(ちち)と倶(とも)なりと雖(いえど)も、我(われ)を憚(はばか)るを以(もっ)て、未(いま)だ嘗(かつ)て歯(は)を見(み)せず、終日(しゅうじつ)塊然(かいぜん)として一処(いっしょ)に坐(ざ)して為(な)すこと無(な)し。見(み)る者(もの)或(あるい)は謂(い)うに、此(こ)れ将(まさ)に死(し)せんとして長(なが)からず、と。吾(われ)と汝(なんじ)の父(ちち)も亦(また)以(もっ)て憂(うれ)う。然(しか)るに汝(なんじ)の父(ちち)は又(また)将(まさ)に事(こと)に従(したが)わんとす。早(はや)く相模(さがみ)に還(かえ)らざるべからず。暫(しばら)く留(とど)まりて汝(なんじ)の親(おや)しむを待(ま)たんと欲(ほっ)すると雖(いえど)も、豈(あに)得(う)べけんや。其(そ)の将(まさ)に行(ゆ)かんとすや、汝(なんじ)に菓子(かし)を与(あた)えて別(わか)れ、且(かつ)汝(なんじ)に誡(いまし)めて曰(いわ)く、「唯(ただ)伯父(はくふ)の命(めい)是(これ)従(したが)え」と。亦(また)悲(かな)しむべし。而(しか)るに汝(なんじ)未(いま)だ悲色(ひしょく)有(あ)らず。其(そ)の遠行(えんこう)を知(し)らず。日暮(ひぐれ)に至(いた)りて後(のち)乃(すなわ)ち之(これ)を思(おも)い、泣(な)きて曰(いわ)く、「君(きみ)在(あ)らず、君(きみ)在(あ)らず」と。吾(われ)之(これ)が為(ため)に悲(かな)しみ、汝(なんじ)を抱(いだ)き汝(なんじ)を負(お)い、強(し)いて笑(わら)い多言(たげん)して以(もっ)て汝(なんじ)を慰諭(いゆ)すも、然(しか)るに未(いま)だ其(そ)の泣(な)くを止(とど)むること能(あた)わず。汝(なんじ)唯(ただ)汝(なんじ)の父(ちち)に於(お)いて然(しか)るのみならず、凡(およ)そ汝(なんじ)を愛(あい)する者(もの)は、汝(なんじ)も亦(また)之(これ)を愛(あい)す。其(そ)の来(きた)るを喜(よろこ)び、其(そ)の去(さ)るを悲(かな)しむ。此(これ)に由(よ)りて之(これ)を観(み)るに、汝(なんじ)の外祖母(がいそぼ)の終(しゅう)より、汝(なんじ)の父(ちち)は嫗(おうな)の将(まさ)に汝(なんじ)を虐(しいた)げんことを恐(おそ)れて、敢(あえ)て西家(せいか)を離(はな)れず。其(そ)の来(き)たりて我(われ)と謀(はか)るに及(およ)びては、之(これ)を如何(いかん)ともする莫(な)く、而(しか)るに汝(なんじ)の泣(な)く所以(ゆえん)は豈(あに)唯(ただ)此(かく)の如(ごと)しのみならんや。斯(ここ)の時(とき)に於(お)いて西家(せいか)の人(ひと)皆(みな)将(まさ)に嫗(おうな)と助(たす)けて虐(しいたげ)を為(な)さん。豈(あに)我(われ)の如(ごと)く汝(なんじ)を慰(なぐさ)む者(もの)有(あ)らんや。若(も)し汝(なんじ)禀気(ひんき)甚(はなは)だ薄(うす)からん乎(か)、死(し)せ矣(い)。或(あるい)は成人(せいじん)の如(ごと)く恋々戚々(れんれんせきせき)として心(こころ)を薫(くん)ぜしめんか、亦(また)死(し)せ矣(い)。或(あるい)は汝(なんじ)の父(ちち)をして汝(なんじ)を迎(むか)え少(しばら)く安(やす)んぜしめんか、亦(また)死(し)せ矣()。吾(われ)此(こ)れを念(おも)う毎(ごと)に、未(いま)だ嘗(かつ)て寒心(かんしん)せざるは無(な)し。汝(なんじ)の父(ちち)も亦(また)能(よ)く寛裕(かんゆう)含訽(がんこう)包荒(ほうこう)にして、小(ちい)さき不忍(ふにん)を以(もっ)て勇(ゆう)を傷(きず)つけざるが故(ゆえ)に、此(こ)の極(きょく)に至(いた)ると雖(いえど)も亦(また)未(いま)だ必(かなら)ずしも吾(われ)の慮(おもんぱか)るが如(ごと)くならず。然(しか)らずんば安(いずく)んぞ、其(そ)の憂(うれ)いを甚(はなは)しくして将(まさ)に死(し)せんとするより汝(なんじ)を活(い)かすこと能(あた)わんや。是(こ)の時(とき)に、汝(なんじ)の父(ちち)不慈(ふじ)にして諸(もろもろ)の我(われ)を悪(にく)む者(もの)有(あ)りと言う。亦(また)異(い)ならずや。夫(そ)れ慈(じ)の義(ぎ)大(おお)いなるかな。固(もと)より汝(なんじ)の父(ちち)の能(よ)く尽(つく)す所(ところ)に非(あら)ざるなり。然(しか)るに父子(ふし)の愛(あい)は天性(てんせい)なり。其(そ)の誰(たれ)か之(これ)無(な)けん。今世(こんせ)の人(ひと)の之(これ)を失(うしな)う所以(ゆえん)は三(みっ)つ焉(に)あり。貧(ひん)なり、窮(きゅう)なり、貪(どん)なり。貪(どん)なる者(もの)は之(これ)を易(やす)んじ、窮(きゅう)なる者(もの)は之(これ)を忘(わす)れ、貧(ひん)なる者(もの)は之(これ)を忍(しの)ぶ。是(ここ)に於(お)いて乎(や)薬(くすり)を飲(の)みて以(もっ)て自(みずか)ら其(そ)の胎(たい)を敗(やぶ)る者(もの)有(あ)り。多費(たひ)を憂(うれ)いて子(こ)を挙(あが)げざる者(もの)有(あ)り。男(おとこ)ならば則(すなわ)ち之(これ)を挙(あが)げ女(おんな)ならば則(すなわ)ち否(いな)とす者(もの)有(あ)り。嬰児(えいじ)を鬻(ひさ)ぎて之(これ)を衣食(いしょく)せしむる者(もの)有(あ)り。嬰児(えいじ)を道路(どうろ)に棄(す)てて以(もっ)て自(みずか)ら逸(やす)んずる者(もの)有(あ)り。斯(こ)の数者(すうしゃ)は豈(あに)人(ひと)の為(な)す所(ところ)ならんや。唯(ただ)人(ひと)為(な)さざるのみならず、鳥獣(ちょうじゅう)と雖(いえど)も亦(また)為(な)さざるなり。夫(そ)れ貪(どん)なる者(もの)は吾(われ)論(ろん)ぜざるなり。貧(まず)しくして忍(しの)ばず、窮(きゅう)して忘(わす)るる無(な)きは、是(こ)れ節(せつ)を守(まも)ると謂(い)う。節(せつ)を守(まも)るは士(し)を為(な)す。唯(ただ)士(し)のみ、与(とも)に慈(じ)を言(い)うべきのみ。吾(われ)其(そ)の語(かたり)を聞(き)けり。未(いま)だ其(そ)の事(こと)を見(み)ざるなり。今(いま)汝(なんじ)の父(ちち)に於(お)いて纔(わずか)に之(これ)を見(み)たり。豈(あに)以(もっ)て偉(い)と為(な)すに足(た)らずや。而(しか)るに之(これ)を不慈(ふじ)と謂(い)うは、則(すなわ)ち吾(われ)信(しん)ぜざるなり。若(も)し汝(なんじ)の父(ちち)事(こと)毎(ごと)に此(かく)の如(ごと)くんば、其(そ)れ誰(たれ)か之(これ)を間(へだ)てん。曽(かつ)て是(こ)れ意(おも)わずして其(そ)の名(な)を受(う)くる所以(ゆえん)なり。詩(し)に曰(いわ)く、「采(と)れ葑(かぶら)采(と)れ菲(あぶらな)下体(かたい)を以(もっ)てする無(な)かれ」と。汝(なんじ)の父(ちち)焉(これ)有(あ)り。吾(われ)衆口(しゅうこう)の罔極(もうきょく)なるを惧(おそ)る。故(ゆえ)に明(あきらか)に之(これ)を弁(べん)じて詳(つまび)らかに之(これ)を言(い)う。唯(ただ)汝(なんじ)の父(ちち)の為(ため)に解嘲(かいちょう)するのみならず、亦(また)将(まさ)に汝(なんじ)をして深(ふか)く其(そ)の徳(とく)を考(かんが)え篤(あつ)く之(これ)を信(しん)ぜしめ、庶(こいねがわ)くは讒人(ざんじん)有(あ)りとするも亦(また)汝(なんじ)を如何(いかん)ともすること無(な)からんことを。
咨汝芳子今春以來汝已親我如父矣而我未能愛汝如子也爲有媿焉何以知之郷也吾觀汝之與汝父寢雖夜寒衣薄而未嘗啼及與我寢則雖煗亦啼何也蓋汝父豈不欲輾轉反側以適己哉恐其動汝是以不敢待汝自動然後從之我則不然雖黽勉爲之而弗能久矣此其所以異也又汝父未嘗怒汝汝之有過也厲其聲正其色以警焉爾故叱汝不及慴笞汝不及痛是教汝也夫善教子者寛裕温柔施之有漸自細至大自淺入深始於胎教終於顧命不躐等焉汝父不學無術其安聞之然而吾見其往矣可以望其來也若我怒汝則自中心達於面目叱汝必慴笞汝必痛西家之事其可爲也吾甚媿之夫唯媿之是以弗爲也雖則弗爲也然其所以爲者存焉無乃與汝父霄壤乎我猶然矣疏於我者可知也嗚呼汝之無聊誰將與儔既不知母又無兄弟且不得亟見父而唯我是頼詩曰民莫不糓我獨何害其汝之謂乎汝(なんじ)芳子(よしこ)に咨(と)う。今春(こんしゅん)以来(いらい)、汝(なんじ)已(すで)に我(われ)に親(した)しむこと父(ちち)の如(ごと)し。而(しか)るに我(われ)未(いま)だ汝(なんじ)を愛(あい)すること子(こ)の如(ごと)く能(あた)わず。為(な)すに愧(は)ずる有(あ)り。何(なに)を以(もっ)て之(これ)を知(し)るか。郷(さき)に、吾(われ)汝(なんじ)の汝(なんじ)の父(ちち)と寝(い)ねるを観(み)るに、夜(よる)寒(さむ)く衣(きぬ)薄(うす)しと雖(いえど)も未(いま)だ嘗(かつ)て啼(な)かず。我(われ)と寝(い)ぬるに及(およ)びては則(すなわ)ち暖(あたた)かしと雖(いえど)も亦(また)啼(な)く。何(なん)ぞや。蓋(けだ)し汝(なんじ)の父(ちち)豈(あに)輾転反側(てんてんはんそく)して以(もっ)て己(おの)れに適(かな)わんことを欲(ほっ)せざらんや。其(そ)の汝(なんじ)を動(うご)かすを恐(おそ)る。是(こ)れを以(もっ)て敢(あえ)て汝(なんじ)の自動(じどう)するを待(ま)って然(しか)る後(のち)之(これ)に従(したが)う。我(われ)は則(すなわ)ち然(しか)らず。勉(つと)めて之(これ)を為(な)すも、而(しか)るに久(ひさ)しきこと能(あた)わず。此(こ)れ其(そ)の異(こと)なる所以(ゆえん)なり。又(また)汝(なんじ)の父(ちち)未(いま)だ嘗(かつ)て汝(なんじ)を怒(いか)らず。汝(なんじ)過(あやま)ち有(あ)るや、其(そ)の声(こえ)を厲(きび)しくし其(そ)の色(いろ)を正(ただ)して以(もっ)て警(いまし)めんのみ。故(ゆえ)に汝(なんじ)を叱(しか)れども慴(おそ)れず、汝(なんじ)を笞(むちう)てども痛(いた)まず。是(こ)れ汝(なんじ)を教(おし)うるなり。夫(そ)れ善(よ)く子(こ)を教(おし)うる者(もの)は寛裕(かんゆう)温柔(おんじゅう)にして、之(これ)を施(ほどこ)すに漸(ぜん)有(あ)り。細(さい)より大(だい)に至(いた)り、浅(せん)より深(しん)に入(い)り、胎教(たいきょう)に始(はじ)まり、顧命(こめい)に終(おわ)りて、等(とう)を躐(こ)えず。汝(なんじ)の父(ちち)は学(まな)ばず術(じゅつ)無(な)し。其(そ)れ安(いずく)んぞ之(これ)を聞(き)かんや。然(しか)るに吾(われ)其(そ)の往(ゆ)くを見(み)たれば、以(もっ)て其(そ)の来(きた)るを望(のぞ)むべし。若(も)し我(われ)汝(なんじ)を怒(いか)らば、則(すなわ)ち中心(ちゅうしん)より面目(めんもく)に達(たっ)し、汝(なんじ)を叱(しか)れば必(かなら)ず慴(おそ)れ、汝(なんじ)を笞(むちう)てば必(かなら)ず痛(いた)むべし。西家(せいか)の事(こと)其(そ)れ為(な)すべけんや。吾(われ)甚(はなは)だ之(これ)を愧(は)ずるなり。夫(そ)れ唯(ただ)之(これ)を愧(は)ずるは、是(こ)れを以(もっ)て弗(ふつ)為(な)すなり。然(しか)るも弗(ふつ)為(な)すなりと雖(いえど)も、然(しか)るに其(そ)の為(な)す所以(ゆえん)の者(もの)存(そん)す。乃(すなわ)ち汝(なんじ)の父(ちち)と霄壌(しょうじょう)ならんか。我(われ)猶(なお)然(しか)り。我(われ)に疎(うと)き者(もの)知(し)るべし。嗚呼(ああ)汝(なんじ)の無聊(ぶりょう)、誰(たれ)か将(まさ)に与(とも)に儔(とも)とせん。既(すで)に母(はは)を知(し)らず、又(また)兄弟(けいてい)無(な)く、且(かつ)亟(しばしば)父(ちち)を見(み)ることを得(え)ずして、唯(ただ)是(こ)れ我(われ)に頼(たの)む。詩(し)に曰(いわ)く、「民(たみ)糓(やしな)わざる莫(な)し、我(われ)独(ひと)り何(なん)ぞ害(がい)せらるる。」其(そ)れ汝(なんじ)の謂(いい)か。
咨汝芳子我亦覉旅餬口四方於今十年未必不凍餒以死也而迎汝者欲使汝父姑紓汝死然後漸爲之計爾安能終完汝乎是汝父之憂未弭也而其憂大於前日哉何以言之汝既親我又無疾病笑言啞啞色容日盛且諸君子之臨吾廬者閔汝幼客於斯也有賜汝衣帶者有賜汝畫圖者有賜汝菓子若木偶者有顧汝拊汝視汝如子者有數使人迎汝而賜汝飲食者此豈汝之所敢望哉比相模時實爲天淵汝於是乎氣盛志佚漸以驕恣欲行遠也欲升高也於衣有所恥焉於食有所擇焉亂我籩豆遷我書策毀我縹瓷拔我錦葵使我不遑跪處吾雖爲之艴然作色而不恤焉提我耳彈我鼻視我如偶人然汝之未可誨也如此若欲待其可誨而後誨之則吾與汝父墓之木拱矣其爲憂也何啻饑寒吾故曰大於前日哉汝能讀書以考吾言然後思汝父之德則將知其眞旱天罔極雖百汝身然未足以報之矣汝其念哉母藐藐爾母訑訑爾愼而德袛而載勿從非彝以
廢吾言哉及爲人婦也順而舅姑敬而所天宜而室家使而子孫有所矜式則汝父之憂可得而解焉然後於其德纔爲無違此汝之孝也
汝(なんじ)芳子(よしこ)に咨(と)う。我(われ)も亦(また)羈旅(きりょ)して餬口(ここう)四方(しほう)す。今(いま)に於(お)いて十年(じゅうねん)、未(いま)だ必ずしも凍餒(とうだい)して死(し)せざるなり。而(しか)るに汝(なんじ)を迎(むか)える者(もの)は、汝(なんじ)の父(ちち)をして姑(しばら)く汝(なんじ)の死(し)を紓(ゆる)めしめ、然(しか)る後(のち)漸(ようや)く之(これ)が為(ため)に計(はか)ることを欲(ほっ)するのみ。安(いずく)んぞ終(つい)に汝(なんじ)を完(まっとう)すること能(あた)わんや。是(こ)れ汝(なんじ)の父(ちち)の憂(うれ)い未(いま)だ弭(や)まず。而(しか)るに其(そ)の憂(うれ)い前日(ぜんじつ)より大(おお)いなるかな。何(なに)を以(もっ)て言(い)うか。汝(なんじ)既(すで)に我(われ)に親(した)しみ、又(また)疾病(しっぺい)無(な)く、笑言(しょうげん)啞々(あかあか)として色容(しきよう)日(ひ)に盛(さか)んなり。且(かつ)諸君子(しょくんし)の吾(わが)廬(いお)に臨(のぞ)む者(もの)は、汝(なんじ)の幼(よう)にして斯(ここ)に客(かく)たるを閔(あわれ)み、汝(なんじ)に衣帯(いたい)を賜(たま)う者(もの)有(あ)り、汝(なんじ)に画図(がと)を賜(たま)う者(もの)有(あ)り、汝(なんじ)に菓子(かし)若(も)しくは木偶(もくぐう)を賜(たま)う者(もの)有(あ)り、汝(なんじ)を顧(かえり)み汝(なんじ)を拊(な)で汝(なんじ)を視(み)ること子(こ)の如(ごと)くする者(もの)有(あ)り、数々(しばしば)人(ひと)をして汝(なんじ)を迎(むか)えしめて飲食(いんしょく)を賜(たま)う者(もの)有(あ)り。此(こ)れ豈(あに)汝(なんじ)の敢(あえ)て望(のぞ)む所(ところ)ならんや。相模(さがみ)に比(ひ)すれば実(まこと)に天淵(てんえん)と為(な)す。汝(なんじ)是(ここ)に於(お)いて乎(や)気(き)盛(さか)んに志(こころざし)佚(たの)しみ、漸(ようや)く以(もっ)て驕恣(きょうし)たり。遠(とお)く行(ゆ)かんと欲(ほっ)し、高(たか)きに昇(のぼ)らんことを欲(ほっ)し、衣(ころも)に於(お)いて恥(は)ずる所(ところ)有(あ)り、食(しょく)に於(お)いて択(えら)ぶ所(ところ)有(あ)り。我(わが)籩豆(へんとう)を乱(みだ)し、我(わが)書策(しょさく)を遷(うつ)し、我(わが)縹瓷(ひょうじ)を毀(こわ)し、我(わが)錦葵(きんき)を抜(ぬ)き、我(われ)をして跪(ひざまず)く処(ところ)を遑(いとま)あらしめず。吾(われ)之(これ)が為(ため)に艴然(ふつぜん)として色(いろ)を作(な)すも恤(うれ)うるに非(あら)ず。我(わが)耳(みみ)を提(さげ)我(わが)鼻(はな)を弾(はじ)き、我(われ)を視(み)ること偶人(ぐうじん)の如(ごと)し。然(しか)るに汝(なんじ)の未(いま)だ誨(おし)うべからざるや此(かく)の如(ごと)し。若(も)し其(そ)の誨(おし)うべきを待(ま)ちて後(のち)之(これ)を誨(おし)えんと欲(ほっ)せば、則(すなわ)ち吾(われ)と汝(なんじ)の父(ちち)の墓(はか)の木(き)は拱(こん)せん。其(そ)の憂(うれ)い為(な)るや、何(なん)ぞ啻(ただ)饑寒(きかん)のみならんや。吾(われ)故(ゆえ)に曰(いわ)く「前日(ぜんじつ)より大(おお)いなるかな」と。汝(なんじ)能(よ)く書(しょ)を読(よ)みて以(もっ)て吾(わが)言(げん)を考(かんが)え、然(しか)る後(のち)汝(なんじ)の父(ちち)の徳(とく)を思(おも)わば、則(すなわ)ち将(まさ)に其(そ)の真(まこと)の旱天罔極(かんてんもうきょく)なるを知(し)らん。百(ひゃく)の汝(なんじ)の身(み)と雖(いえど)も、然(しか)るに以(もっ)て之(これ)に報(むく)いるに足(た)らず矣(い)。汝(なんじ)其(そ)れ念(おも)え。母(はは)藐藐(ばくばく)たれ、母(はは)訑訑(じじ)たれ。慎(つつし)みて其(そ)の徳(とく)を、袛(つつし)みて其(そ)の載(さい)を。非彝(ひい)に従(したが)うを勿(な)かれ。以(もっ)て吾(わが)言(げん)を廃(はい)する勿(な)かれ。及(およ)び人(ひと)の婦(ふ)と為(な)るや、舅姑(きゅうこ)に順(したが)い、所天(しょてん)を敬(うやま)い、室家(しっか)に宜(よろ)しくし、子孫(しそん)を使(つか)わし、矜式(きょうしき)する所(ところ)有(あ)らば、則(すなわ)ち汝(なんじ)の父(ちち)の憂(うれ)い得(え)て解(と)くべし。然(しか)る後(のち)其(そ)の徳(とく)に於(お)いて纔(わずか)に違(たが)うこと無(な)しと為(な)さん。此(こ)れ汝(なんじ)の孝(こう)なり。
咨汝芳子吾聞之君子樂不忘憂安不忘危是以能安且樂小人反是吾將以君子期汝汝亦不以自期乎日汝父之來與我謀也離汝四十里又無汝外祖母之保護汝也則嫗何憚而不逞其虐乎此乃委汝於狼也夫嫗陰虐汝而陽愛汝故雖汝父數適西家然未必知其詳也而我奚以察之於四十里之外如視諸掌哉苟無以爲驗汝將謂我誣人而不之信故極言之汝之初至於斯也吾欲察西家之事故問汝嫗何爲汝乃嗔目切齒以爲其怒已狀且目指其頂及手足曰此嫗所拳此嫗所爪吾熟視之其瘢痕猶有存者其驗一也孩提之時記性未定其於前事甚喜者記甚怒者記甚懼者記不然則否今汝所記於嫗爲多且戲汝曰嫗來嫗來則變色矣無乃以甚畏其虐之故乎其驗二也夫愛嬰兒者大氐不名其物或爲之貌或爲之聲以開喩之不然則重言之手曰手手乳曰乳乳寢曰寢寢起曰起起之類是已若夫謂鼓塡塡重言其聲也謂食甘甘重言其味也謂溺
津津重言其貌也凡如此類皆將審其實以誨之豈所苟哉是謂幼幼若賤惡之則不然也嬰兒化之故其所言乃其所聞今汝不謂溺津津而謂之小便如成人然則嫗之與汝言也可以見矣其驗三也我之使汝父迎汝也欲其速行故言汝之窮苦如親見之汝父未之必信及至於西家而後顧我言則如合符節其驗四也氓之蚩蚩莫非嫗也以此知彼何難之有詩不云乎他人有心予忖度之况嫗之心我固有之因忖度之是執柯以伐柯也夫豈遠哉其驗五也推此五驗以考其實而比諸狼不亦宜乎始吾不欲言之難彰其惡也雖然是之不言汝之患不著汝之患不著汝父之所以憂汝者不可得而見焉則雖責汝以孝亦將惟庸罔念又安知其憂且危而不忘哉若乃因斯言宿怨於西家則非吾所以言之意也戒之愼之况嫗之鞅鞅吾與汝父爲有責焉豈得專歸咎於彼乎汝之所遇命也其所不遇亦命也不知命無以爲君子也
汝(なんじ)芳子(よしこ)に咨(と)う。吾(われ)之(これ)を聞(き)く、君子(くんし)は楽(たの)しみて憂(うれ)いを忘(わす)れず、安(やす)んじて危(あやう)きを忘(わす)れず。是(こ)れを以(もっ)て能(よ)く安(やす)んじ且(かつ)楽(たの)しむ。小人(しょうじん)は是(これ)に反(はん)す。吾(われ)将(まさ)に君子(くんし)を以(もっ)て汝(なんじ)を期(き)せん。汝(なんじ)も亦(また)以(もっ)て自(みずか)ら期(き)せずや。日(ひ)に汝(なんじ)の父(ちち)の来(きた)りて我(われ)と謀(はか)るや、汝(なんじ)を離(はな)れて四十里(しじゅうり)、又(また)汝(なんじ)の外祖母(がいそぼ)の保護(ほご)無(な)きなり。則(すなわ)ち嫗(おうな)何(なに)を憚(はばか)りて其(そ)の虐(しいたげ)を逞(ほしいまま)にせざらんや。此(こ)れ乃(すなわ)ち汝(なんじ)を狼(おおかみ)に委(い)するなり。夫(そ)れ嫗(おうな)は陰(かげ)に汝(なんじ)を虐(しいた)げて陽(ひなた)に汝(なんじ)を愛(あい)す。故(ゆえ)に汝(なんじ)の父(ちち)数々(しばしば)西家(せいか)に適(ゆ)くといえども、然(しか)るに未(いま)だ必ずしも其(そ)の詳(つまび)らかなるを知(し)らざるなり。而(しか)るに我(われ)奚(なに)を以(もっ)て之(これ)を四十里(しじゅうり)の外(そと)に察(さっ)すること掌(たなごころ)に諸(これ)を視(み)るが如(ごと)くせんや。苟(いやしく)も以(もっ)て験(しるし)と為(な)すこと無(な)くんば、汝(なんじ)将(まさ)に我(われ)を誣(し)いる人(ひと)と謂(い)いて之(これ)を信(しん)ぜざらん。故(ゆえ)に極言(きょくげん)せん。汝(なんじ)の初(はじ)めて斯(ここ)に至(いた)るや、吾(われ)西家(せいか)の事(こと)を察(さっ)せんと欲(ほっ)し、故(ゆえ)に汝(なんじ)に問(と)うに、嫗(おうな)何(なに)を為(な)すかと。汝(なんじ)乃(すなわ)ち目(め)を嗔(いか)らせ歯(は)を切(き)りて以(もっ)て其(そ)の怒(いか)りの已(や)み状(さま)と為(な)し、且(かつ)目(め)を以(もっ)て其(そ)の頂(いただき)及(およ)び手足(しゅそく)を指(さ)して曰(いわ)く、「此(こ)れ嫗(おうな)の拳(こぶし)する所(ところ)、此(こ)れ嫗(おうな)の爪(つめ)する所(ところ)」と。吾(われ)熟視(じゅくし)するに、其(そ)の瘢痕(はんこん)猶(なお)存(そん)する者(もの)有(あ)り。其(そ)の験(しるし)一(ひとつ)なり。孩提(がいてい)の時(とき)、記性(きせい)未(いま)だ定(さだ)まらず。其(そ)の前事(ぜんじ)に於(お)いて甚(はなは)だ喜(よろこ)ぶ者(もの)は記(しる)し、甚(はなは)だ怒(いか)る者(もの)は記(しる)し、甚(はなは)だ懼(おそ)るる者(もの)は記(しる)す。然(しか)らずんば則(すなわ)ち否(いな)なり。今(いま)汝(なんじ)の嫗(おうな)に於(お)いて記(しる)す所(ところ)多(おお)し。且(かつ)汝(なんじ)を戯(たわむ)れて曰(いわ)く、「嫗(おうな)来(き)たり、嫗(おうな)来(き)たり」と。則(すなわ)ち色(いろ)を変(か)う。乃(すなわ)ち甚(はなは)だ其(そ)の虐(しいたげ)を畏(おそ)るるが故(ゆえ)を以(もっ)てするに非(あら)ずや。其(そ)の験(しるし)二(ふたつ)なり。夫(そ)れ嬰児(えいじ)を愛(あい)する者(もの)は、大抵(たいてい)其(そ)の物(もの)を名(な)づけず、或(あるい)は之(これ)が為(ため)に貌(かたち)を為(な)し、或(あるい)は之(これ)が為(ため)に声(こえ)を為(な)して以(もっ)て開喩(かいゆ)す。然(しか)らずんば則(すなわ)ち重言(じゅうげん)す。手(て)を曰(い)うに手手(てて)、乳(ちち)を曰(い)うに乳乳(ちちちち)、寝(い)ぬるを曰(い)うに寝寝(ねね)、起(お)くるを曰(い)うに起起(おきおき)の類(たぐい)是(これ)已(のみ)。若(も)し夫(そ)れ鼓(つづみ)を謂(い)うに塡塡(てんてん)は其(そ)の声(こえ)を重言(じゅうげん)するなり。食(しょく)を謂(い)うに甘甘(かんかん)は其(そ)の味(あじ)を重言(じゅうげん)するなり。溺(おしっこ)を謂(い)うに津津(しんしん)は其(そ)の貌(かたち)を重言(じゅうげん)するなり。凡(およ)そ此(こ)の類(たぐい)は皆(みな)将(まさ)に其(そ)の実(じつ)を審(つまび)らかにして以(もっ)て之(これ)を誨(おし)えん。豈(あに)苟(いやしく)もする所(ところ)ならんや。是(こ)れ幼幼(ようよう)と謂(い)う。若(も)し之(これ)を賤(いや)しみ悪(にく)まば則(すなわ)ち然(しか)らず。嬰児(えいじ)之(これ)を化(か)す。故(ゆえ)に其(そ)の言(い)う所(ところ)は乃(すなわ)ち其(そ)の聞(き)く所(ところ)なり。今(いま)汝(なんじ)は溺(おしっこ)を津津(しんしん)と謂(い)わずして之(これ)を小便(しょうべん)と謂(い)うこと成人(せいじん)の如(ごと)し。則(すなわ)ち嫗(おうな)の汝(なんじ)に与(とも)に言(い)うべかりしは之(これ)を見(み)るべし。其(そ)の験(しるし)三(みっつ)なり。我(われ)汝(なんじ)の父(ちち)をして汝(なんじ)を迎(むか)えしむるや、其(そ)の速(すみやか)に行(ゆ)かんことを欲(ほっ)す。故(ゆえ)に汝(なんじ)の窮苦(きゅうく)を言(い)うこと親(みずか)ら之(これ)を見(み)るが如(ごと)し。汝(なんじ)の父(ちち)未(いま)だ之(これ)を必(かなら)ず信(しん)ぜず。西家(せいか)に至(いた)りて後(のち)我(わが)言(げん)を顧(かえり)みれば則(すなわ)ち符節(ふせつ)を合(あわ)せるが如(ごと)し。其(そ)の験(しるし)四(よっつ)なり。氓(ぼう)の蚩蚩(しいしい)たるは嫗(おうな)に非(あら)ざる莫(な)し。此(これ)を以(もっ)て彼(かれ)を知(し)るに何(なん)の難(なん)か有(あ)らん。詩(し)に云(い)わずや、「他人(たにん)心(こころ)有(あ)り、予(われ)之(これ)を忖度(そんたく)す」と。況(いわ)んや嫗(おうな)の心(こころ)は我(われ)固(もと)より之(これ)を有(たも)つ。因(よ)りて之(これ)を忖度(そんたく)するは、是(こ)れ柯(え)を執(と)りて以(もっ)て柯(え)を伐(き)るなり。夫(そ)れ豈(あに)遠(とお)からんや。其(そ)の験(しるし)五(いつつ)なり。此(こ)の五験(ごけん)を推(お)して以(もっ)て其(そ)の実(じつ)を考(かんが)え、諸(もろもろ)の狼(おおかみ)に比(ひ)するに亦(また)宜(よろ)しからずや。始(はじ)め吾(われ)之(これ)を言(い)うことを欲(ほっ)せず。其(そ)の悪(あく)を彰(あきら)かにし難(がた)ければなり。然(しか)りと雖(いえど)も、是(こ)れを言(い)わずんば汝(なんじ)の患(うれ)い著(あらわ)れず、汝(なんじ)の患(うれ)い著(あらわ)れずんば汝(なんじ)の父(ちち)の汝(なんじ)を憂(うれ)うる所以(ゆえん)見(み)ることを得(え)べからず。則(すなわ)ち汝(なんじ)を責(せ)めて孝(こう)を以(もっ)てするも亦(また)将(まさ)に唯(ただ)庸(よう)にして念(おも)わず、又(また)安(いずく)んぞ其(そ)の憂(うれ)い且(かつ)危(あやう)きを忘(わす)れざるを知(し)らんや。若(も)し乃(すなわ)ち斯(こ)の言(げん)に因(よ)りて宿怨(しゅくえん)を西家(せいか)に於(お)いてせば、則(すなわ)ち吾(われ)の之(これ)を言(い)う所以(ゆえん)の意(い)に非(あら)ざるなり。戒(いまし)め慎(つつし)め。況(いわ)んや嫗(おうな)の鞅鞅(おうおう)たるや、吾(われ)と汝(なんじ)の父(ちち)と責(せき)有(あ)りて為(な)す。豈(あに)専(もっぱ)ら咎(とが)を彼(かれ)に帰(き)するを得(え)んや。汝(なんじ)の遇(あ)う所(ところ)は命(めい)なり。其(そ)の遇(あ)わざる所(ところ)も亦(また)命(めい)なり。命(めい)を知(し)らざれば以(もっ)て君子(くんし)と為(な)すこと無(な)し。
咨汝芳子吾欲汝之讀書也苟不讀書無以爲娯無以爲娯求之不已能無過乎且吾所以語汝者亦唯讀書而後可考也不然非徒無以爲娯又將不自知其初矣今之婦人雖或讀書然其書皆國字方言非吾所謂書也於讀之乎何有吾未見其眞能讀書者姑以所聞有五人焉井上通内史桃其三人則吾忘之矣今欲以汝六之豈不難哉吾舎其易而難是圖所以敬汝也人之言曰婦人女子抱兒爲多焉用讀書吾敢以此待汝乎夫載籍極博害讀害否譬諸木焉詩書爲根論語孝經爲幹左傳國語史記漢書其枝葉華實也是爲綱領不可不讀也其餘不必讀焉不必不讀焉以成德者上也以知恥者次也以爲娯者又其次也吾豈責汝以其上者哉雖然以爲娯之至可以知恥知恥之至可以成德吾豈不望諸汝哉吾聞之牝雞無晨陰不侵陽女之節也無非無儀唯酒食是議婦之分也安分守節謂之懿德昭之脩之是爲善讀書矣
『新瓦』読み下し文
汝(なんじ)芳子(よしこ)に咨(と)う。吾(われ)汝(なんじ)の書(しょ)を読(よ)まんことを欲(ほっ)す。苟(いやしく)も書(しょ)を読(よ)まずんば、以(もっ)て娯(たの)しみと為(な)すこと無(な)く、以(もっ)て娯(たの)しみと為(な)すこと無(な)くんば、求(もと)むること已(や)まずんば、過(あやま)ち無(な)しと能(よ)けんや。且(かつ)吾(われ)汝(なんじ)に語(かた)る所以(ゆえん)の者(もの)も、亦(また)唯(ただ)書(しょ)を読(よ)みて後(のち)考(かんが)うべきのみ。然(しか)らずんば徒(いたずら)に以(もっ)て娯(たの)しみと為(な)すこと無(な)きのみならず、又(また)将(まさ)に自(みずか)ら其(そ)の初(はじ)めを知(し)らざらん。今(いま)の婦人(ふじん)は或(あるい)は書(しょ)を読(よ)むと雖(いえど)も、然(しか)るに其(そ)の書(しょ)は皆(みな)国字方言(こくじほうげん)にして吾(われ)の所謂(いわゆる)書(しょ)に非(あら)ざるなり。之(これ)を読(よ)むに於(お)いて何(なに)有(あ)らん。吾(われ)未(いま)だ其(そ)の真(まこと)に能(よ)く書(しょ)を読(よ)む者(もの)を見(み)ざるなり。姑(しばら)く聞(き)く所(ところ)を以(もっ)て五人(ごにん)有(あ)り。井上通(いのうえつう)、内史桃(ないしとう)。其(そ)の三人(さんにん)は則(すなわ)ち吾(われ)之(これ)を忘(わす)れき。今(いま)汝(なんじ)を以(もっ)て六(ろく)とせんことを欲(ほっ)す。豈(あに)難(かた)からずや。吾(われ)其(そ)の易(やす)きを舎(す)てて難(かた)きを是(これ)図(はか)るは、敬(けい)を汝(なんじ)に為(な)す所以(ゆえん)なり。人(ひと)の言(げん)に曰(いわ)く、「婦人女子(ふじんじょし)は児(こ)を抱(いだ)くこと多(おお)し。焉(いずく)んぞ書(しょ)を読(よ)むを用(もち)いん」と。吾(われ)敢(あえ)て此(これ)を以(もっ)て汝(なんじ)を待(ま)たんや。夫(そ)れ載籍(さいせき)は極(きわ)めて博(ひろ)し。読(よ)むべきか読(よ)まざるべきか。譬(たと)えば木(き)に諸(これ)を喩(たと)えん。詩書(ししょ)は根(ね)と為(な)り、論語(ろんご)孝経(こうきょう)は幹(みき)と為(な)り、左伝(さでん)国語(こくご)史記(しき)漢書(かんじょ)は其(そ)の枝葉(しよう)華実(かじつ)なり。是(こ)れ綱領(こうりょう)と為(な)る。読(よ)まざるべからざるなり。其(そ)の余(よ)は必(かなら)ずしも読(よ)むを要(よう)せず。必(かなら)ずしも読(よ)まざるを要(よう)せず。以(もっ)て徳(とく)を成(な)すは上(かみ)なり。以(もっ)て恥(はじ)を知(し)るは次(つぎ)なり。以(もっ)て娯(たの)しみと為(な)すは又(また)其(そ)の次(つぎ)なり。吾(われ)豈(あに)汝(なんじ)を責(せ)めて其(そ)の上(かみ)を以(もっ)てせんや。然(しか)りと雖(いえど)も、以(もっ)て娯(たの)しみと為(な)すの至(いた)りて以(もっ)て恥(はじ)を知(し)るべし。恥(はじ)を知(し)るの至(いた)りて以(もっ)て徳(とく)を成(な)すべし。吾(われ)豈(あに)汝(なんじ)に諸(これ)を望(のぞ)まざらんや。吾(われ)之(これ)を聞(き)く、「牝鶏(ひんけい)晨(あした)無(な)し」と。陰(いん)陽(よう)を侵(おか)さざるは女(おんな)の節(せつ)なり。「非(ひ)無(な)く非儀(ひぎ)無(な)し。唯(ただ)酒食(しゅしょく)を是(これ)議(ぎ)す」は婦(ふ)の分(ぶん)なり。分(ぶん)に安(やす)んじ節(せつ)を守(まも)るを懿徳(いとく)と謂(い)う。之(これ)を昭(あきら)かにし之(これ)を脩(おさ)むるは善(よ)く書(しょ)を読(よ)める者(もの)と為(な)る。
咨汝芳子君子之愛子也教之以義方弗納於邪邪之所自或在於親可不愼與今世之人大氐不教子其教子者則已甚矣往往責駑駘以十里不死則病矣况無諸已而求諸子強聒不舎繼之以怒是犯義易方也將何以教之然而不納於邪者鮮矣夫人品不齊上下差池其上者不待教也其下者不可教也唯中人不可不教也且以文王之子言之武王周公爲上非教而然也管蔡爲下非不教而然也其餘則若而人是教而然也不教豈能然乎是爲中人中人又有差上下亦然譬諸草木區以別矣而文王之教之也如時雨化之故被其澤或多或少或淺或深皆自取之爾安得而齊之哉由此觀之武王周公雖無文王猶興者也若管蔡則雖有文王亦無如之何矣凡教子者可以見其則也詩曰儀刑文王萬邦作孚汝其識之
『新瓦』読み下し文
汝(なんじ)芳子(よしこ)に咨(と)う。君子(くんし)の子(こ)を愛(あい)するや、之(これ)を義方(ぎほう)を以(もっ)て教(おし)え、邪(よこしま)に納(い)れざるなり。邪(よこしま)の自(みずか)らする所(ところ)或(あるい)は親(おや)に在(あ)り。慎(つつし)まざるべけんや。今世(こんせ)の人(ひと)は、大抵(たいてい)子(こ)を教(おし)えず。其(そ)の子(こ)を教(おし)うる者(もの)は、則(すなわ)ち已(すで)に甚(はなは)だし。往往(おうおう)にして駑駘(どたい)に責(せ)めて十里(じゅうり)にして死(し)せざれば則(すなわ)ち病(やまい)めり。況(いわ)んや諸(もろもろ)の已(や)むこと無(な)くして諸(もろもろ)の子(こ)に求(もと)め、強聒(きょうかつ)して舎(や)めず、之(これ)に続(つづ)けて怒(いか)る。是(こ)れ義方(ぎほう)を犯(おか)すなり。将(まさ)に何(なに)を以(もっ)て之(これ)を教(おし)えんや。然(しか)れども邪(よこしま)に納(い)れざる者(もの)は鮮(すくな)し。夫(そ)れ人品(じんぴん)斉(ひと)しからず、上下(じょうげ)差池(しち)す。其(そ)の上(かみ)なる者(もの)は教(おし)えを待(ま)たざるなり。其(そ)の下(しも)なる者(もの)は教(おし)うべからざるなり。唯(ただ)中人(ちゅうじん)は教(おし)えざるべからざるなり。且(かつ)文王(ぶんおう)の子(こ)を以(もっ)て之(これ)を言(い)えば、武王(ぶおう)周公(しゅうこう)は上(かみ)と為(な)す。教(おし)えに非(あら)ざるも然(しか)り。管蔡(かんさい)は下(しも)と為(な)す。教(おし)えざるに非(あら)ざるも然(しか)り。其(そ)の余(よ)は則(すなわ)ち若(かく)のごとき人(ひと)は是(こ)れ教(おし)えられて然(しか)るなり。教(おし)えずんば豈(あに)能(よ)く然(しか)らんや。是(こ)れ中人(ちゅうじん)と為(な)す。中人(ちゅうじん)又(また)差(さ)有(あ)りて上下(じょうげ)亦(また)然(しか)り。譬(たと)えば草木(そうもく)の区(く)を以(もっ)て之(これ)を別(わか)つが如(ごと)し。而(しか)るに文王(ぶんおう)の之(これ)を教(おし)うるや、時雨(じう)の之(これ)を化(か)すが如(ごと)し。故(ゆえ)に其(そ)の沢(さわ)を被(こうむ)る者(もの)或(あるい)は多(おお)く或(あるい)は少(すくな)く、或(あるい)は浅(あさ)く或(あるい)は深(ふか)く、皆(みな)自(みずか)ら之(これ)を取(と)るのみ。安(いずく)んぞ之(これ)を斉(ひと)しくせんことを得(え)んや。此(これ)に由(よ)りて之(これ)を観(み)るに、武王(ぶおう)周公(しゅうこう)は文王(ぶんおう)無(な)しと雖(いえど)も猶(なお)興(おこ)る者(もの)なり。若(も)し管蔡(かんさい)は則(すなわ)ち文王(ぶんおう)有(あ)りといえども亦(また)之(これ)を如何(いかん)ともすること無(な)し。凡(およ)そ子(こ)を教(おし)うる者(もの)は以(もっ)て其(そ)の則(のり)を見(み)るべし。詩(し)に曰(いわ)く、「儀(のっと)り刑(けい)は文王(ぶんおう)に、万邦(ばんぽう)作(おこ)りて孚(まこと)あり。」汝(なんじ)其(そ)れ識(しる)せ。
咨汝芳子吾毎讀詩至蓼莪篇未嘗不潸焉出涕也竊自謂如王偉元亦猶是乎既而考其所以然則霄壤耳蓋偉元之不得事其親也與作此詩者同情而又甚焉雖然天實爲之謂之何哉我則異於是雖得事親而不事焉高擧遠遊以失時矣及讀書考文以知其過而欲改之則親不在矣於是乎泣無以自慰豈得與王比乎哉吾將使汝三復是詩以爲則焉庶無與我同乎夫事親雖男女異宜然其欲無父母詒罹而已無悔焉則同也其第一章曰
 蓼蓼者莪匪莪伊蒿哀哀父母生我劬勞

孝子之詩是篇爲最是篇之義是章爲要夫舜之孝天下大之而舜自視欿然所以爲舜也作此詩者其庶幾乎比之於莪實其蓼蓼者也而自以爲蒿亦舜之心哉蓋有是心斯有是言故曰哀哀父母生我劬勞且讚親之德以旱天罔極然後萬世莫以尚焉而凡事親者皆受其賜矣舜爲至孝是人次之其第二章曰
 蓼蓼者莪匪莪伊蔚哀哀父母生我勞瘁

夫親之憂子也日新月長子之幼也血氣未定師傅未訓聞見未多猶有望焉及其壯也將唯其疾之憂若猶未也其何望乎身既衰矣子又如是將以憂終豈得不勞瘁乎哉蔚大於蒿勞瘁甚於劬勞蒿爲幼弱蔚爲壯大可以見其辯矣其第三章曰
 缾之罄矣維罍之恥鮮民之生不如死之久矣無父何怙無母何恃出則銜恤入則靡至

我生之初唯親是頼親之衰也唯我是頼我以親存親以我終是我與親相爲命也親日衰我日壯親不自憂其日衰之憂而樂我日壯之樂我敢不憂親之憂而自樂其樂乎是以孝子無獨樂焉有獨憂焉夫舜之憂親不與焉所謂獨也天下之物無以解之及與親偕而後能樂其樂也將以忘天下天下猶可忘而况其餘乎作此詩者親不在焉亦獨也故自以爲無父何怙無母何恃出入惸惸是爲鮮民鮮民無樂不如死也極言其憂耳嗟乎不能憂此憂安能樂此樂其所樂者皆可憂也其所憂者不足憂也憂孰甚焉其第四章曰
 父兮生我母兮鞠我拊我畜我長我育我顧我復我出入腹我欲報之德旱天罔極

生我鞠我爲綱自拊我至於腹我爲目目下有目綱上有綱綱無始目無終非旱天無以稱焉此章之義縝密宏博實爲罔極請擧其一以爲準焉夫親之拊我也或笑焉或泣焉或歎息焉皆有其容有其色有其聲有其所由然淵淵而湊源源而來靜言思之懷抱之樂膝下之驩其宛然也餘皆類此故古人謂親既没者若誦是詩而不流涕非人子也豈不然乎其第五章曰
 南山烈烈飄風發發民莫不穀我獨何害

曩者親之存也南山是望飄風是聞以相歡也之烈烈之發發以爲娯也今則已矣豈不悲哉夫孝子之歡莫大於事親其悲莫甚於失親既有此悲矣然後思其所嘗歡焉如之何其不滋甚嗟乎方有此歡者不可以不愛日也其第六章曰
 南山律律飄風弗弗民莫不糓我獨不卒

有始有卒爲糓乃養生喪死無憾也夫民不皆糓而云爾者豈思古乎是人也有始而已雖欲其卒不可得矣天也若夫衆人無始無卒雖或有始而不能卒雖或能卒亦未足以補其始之闕焉人也天人之分君子擇焉吾又聞之善事父母爲孝夫謂之善事焉則可以見其所及者廣且大非唯於父母之軀言之也天子之於天下非此不平諸侯之於國非此不治其教人也此以貫之蓋君不君非孝也父不父非孝也兄不兄弟不弟夫不夫婦不婦凡非禮非義者皆非孝也何以言之有一於此則父母不悦父母不悦可謂之善事焉乎是故在彼無惡在此無射諸子百氏君子小人中國夷狄皆以爲上而無間然者唯孝爲然善之著也美之會也德之宗也依乎宗則不亂矣取乎會則無闕矣觀乎著則不眩矣汝其勉之嗚呼我之與汝語也日暮塗遠唯恐失之故於其言曽不顧躬之不逮也他日將爲汝笑而掩面於地下吾於是乎且懼且喜其懼者吾有罪焉其喜者汝頗啓
明將能讀書稽古以察我之非焉然後吾言可得而笑也
咨汝芳子 先考亦覉旅若思不詳其所自出也家乘所書則唯其遺言 先妣記之以語若思爾 考姓中根氏名重勝字子義號武濱三河人也延寶間遊于伊津因家焉其郷曰下田南至于海海濱清幽島嶼可觀是爲武濱 考樂之因以爲號焉正德三年癸巳冬十一月二十九日以疾卒年六十七葬于北本覺寺旁男子五人所存唯二若思及汝父也一女名克適合原勝房勝房江都人也居於相模相模之南有浦賀邑海關在焉勝房乃其小吏也終于浦賀 先妣姓淺野氏江都人也若思既失業不能事焉託諸勝房元文三年戊午夏四月十八日卒于浦賀年七十一葬于關之東顯正寺又其東乃鴨居邨也汝父名孔昭字叔德號鴨居生于下田家于浦賀生一男名清吉移于鴨居生二女其一乃汝也汝姉名參參及清吉皆蚤夭汝母姓齊藤氏鴨居人也汝外祖妣姓前田氏卒于鴨居其墓所在曰不入斗在鴨居西二里乃其生處也汝母及兄葬于 先妣之塋汝姉墓在鴨居西德寺若思字敬父號東里下田人也汝初名琨及至於斯吾更之曰芳子芳子爲物可愛也子之言嗣也所以祝汝也
正德辛卯秋余適京師因寓於攝州中山之東其鄰有寺曰徧照院有僧六人相與采菌于野多得之亨而食之甚美明日先食者死背陷而紫後食者三人相繼皆死亦如之其幼者年十一曰露身有嫗飲其湯疾幾死
佐與者常州水戸城東吉沼邑人伊平太之妻也伊平太貧與妻並耕後得惡疾而不能行治之無效是以益貧至盡賣田以給湯藥佐與乃爲人挫鍼治以奉養之如事老親如保幼兒久而益篤伊平太閔其勞苦也乃謂之曰余之未死爾之力也德莫厚焉然而余疾不可爲也而爾尚壯雖更適人不亦可乎爾其圖之佐與泣曰不可若君之疾終不可諱吾將終身守其居焉况忍以勞苦棄君哉伊平太又欲浴奥州巖城之温泉以治其疾而無財以治裝也佐與借錢於人得三百文乃使工作車工知其志也爲求美材以作之牢而不受其直於是佐與使伊平太寢於車而躬自挽之欲以適巖城有二子皆幼佐與懷其一而携其一則力不足以行車也請路人助之又見巨室輙踵其門而借役焉然後能行乞食於路路人愍之助挽其車者衆也遂得至于巖城伊平太浴温泉月餘疾愈大半乃與妻子倶歩還吉沼實享保十九年秋七月也州法出其境者必告諸官得報而
後行佐與弗知也及自巖城反里長以其犯法告吏吏素聞其賢也不忍責之更具其事以言于官官命贖其所賣田以賜之且復之終身
雪婦者江都漁人之妻也美而仁其夫死人將蠱之懼乃食地黄以土酥汁髮暴白如雪然人畏之
元文初江都橘坊倡越年十五六美而善歌富人之子適其家者相屬於路一少年尤愛之數適焉後惜其費而不敢也間一年復適焉越問之曰何其濶也對曰治業焉爾曰何以復來曰夢神告余曰橘園之遊將利於汝余敢不勉極歡而去越笑曰神過矣夫遊于斯何利之有君子曰倡而言之異哉神信然乎其將赮然矣
享保辛亥余在江都江都油坊有隱君子賣卜以食自號無我余愛敬之問姓名不對余乃稱之曰司馬子無我笑曰子則誰也其賈生乎因相親也明年壬子暮春之初余與無我遊於東郊是日也霖雨新晴桃李方華觀者往往宴于樹下余謂無我曰不亦樂乎乃作詩曰東野之華谷風其馥此有飲酒彼有食肉既飽既醉使我心樂無我笑曰彼自樂之我何與焉余曰子以無我爲號何也曰夫子絶四其一乃無我也吾將學焉曰然則何以笑我詩乎夫唯無我也故無非我也彼亦我也此亦我也彼之所無此則有之此之所無彼則有之無不足也烏有餘也富貴貧賤壽夭禍福死生榮辱於是乎齊矣孝親敬長恤民愛物皆自愛也攻昧取亂禁暴遏虐皆自治也由此觀之則彼之樂豈非我之樂哉無我歎曰大哉言乎自非聖人其誰能之曰何必聖人雖吾儕乎亦可勉也譬如美玉其小大輕重不同而其爲寶則一也請問其方曰難言也固問之乃曰其謙乎言謙則順事
謙則審容謙則恭色謙則和言順事審信也容恭色和禮也信禮爲始義以節之勇以守之寛以居之德莫美焉以此事君以此事父以此富貴以此貧賤以此生以此死凡所以者莫非此也謂之仁焉謙之終也謙能成仁仁又能謙謙仁相因如環無端然則雖有我亦何能爲是無我也故天益之人好之鬼神福之可不勉乎無我説更號謙齋而請記於余辭固請乃記之此其大略也
余欲遺道川先生書曰若思言彦阪公執事秩秩德音賜教實多若思不佞斯之未能聞既鬻於市又耕於野不敢與士君子齒者十二年於今矣况敢狂言以犯執事之威嚴雖然疾痛慘怚未嘗不呼父母也執事豈非民之父母哉願矜其情不録其罪而熟察之若思聞之丈夫生而願其有室女子生而願其有家此親之所以憂也夫親憂之子敢恝然詩曰求我庶士迨其吉兮可以見其憂矣若思將以姉之女喩焉其未笄也家貧親病殆無以鞠之將屬諸人以爲後圖若思不可乃謂女曰唯君子能憂人之憂如己有之細人不能也女懼欲待其人而後往焉執事閔之乃命若思獻諸藪公公善遇之施及其親是若思雖窮居草莽然未嘗不被二公之澤也敢忘其德今此女也既以君子爲君矣見其事上也見其臨下也見其與賓客言也皆將
 國家之憂是憂而有以解焉庶其波及己以慰老親乎待之十餘年猶未有家而年三十矣君子將聽諸無聲視諸無形而爲之慘然也况其親乎夫藪公之德可謂厚矣若思豈不望其有終哉又豈不望執事贊襄以卒大惠哉若思老矣不得復就下風而承後命故敢獻書以布腹心唯執事圖之又與女書以觀其志女固止之故不果也女名仲合原勝房之子也性孝友以余此擧爲不己知乃復書曰我家多難老母及弟實集于蓼吾所以得救其急者君之賜也若使我嫁將唯人是從雖欲如此豈可得乎是使親窮以自爲也是於親之憂損其一而益其十也何以嫁爲余未肯從欲微勸之乃詢諸周然後知其不可以不從焉嗟乎仲之孝也不踐迹不阿世變而通之非能權者未昜及也
樵者利山魚者便水冬裘夏葛男唯女兪易此必亂王公自稱孤寡不穀謙它人則僣陽虎曰爲富不仁矣爲仁不富矣此好言也亦莠言也公甫文伯死其母不哭焉疑其好内也論者謂此賢母也不然必妒妻也它如好賢之與悦色同辭習儀之與善於禮齊名或美或惡存乎人焉是故孝子不自言其勞也忠臣不自言其功也慈父不自言其恩也
新瓦終

2.虐待を受けた子は?

 2通りの説がある

・東里の姪説(芳子のこと)
  石井庄司氏の「ことば」で育てるという論文では、
    東里のもとに引き取られた幼娘芳子とする

  https://sybrma.sakura.ne.jp/444nakanetouri.shinga.html?utm_source=chatgpt.com

  父の叔德はかせぎのために外出することが多いので、
    隣のお婆さんに芳子の子守りを賴んだ
・隣の娘説
  磯田道史氏の著書『無私の日本人』では、
    芳子は東里の隣に住む家の娘(磯田氏は3歳の男の子)とする

  https://sybrma.sakura.ne.jp/438nakanetouri.html?utm_source=chatgpt.com

  父親はかせぎのために外出することが多いので、
    隣のお婆さんに子供の子守りを賴んだ

 結論:芳子ではない
   下記の文章を参照

第三段(抜粋)現代語訳
  <中略>
昔者吾與汝父寓於江都其鄰之婦貪而虐人皆惡之竊號爲狼狼嘗養人之兒以受其直直之未入也愛兒如子既得其直則如棄焉此其所以爲狼也兒纔三歳其始至也豐頰善笑甚可愛也未幾其憔悴不忍見也是何故哉饑不必得食渇不必得飲誰携之使行誰定之使寐口未能辯心未能慮自投而泣恐其將見怒於狼也不敢出聲怫鬱泣血如幽囚然
  <中略>
昔、私とあなたの父が江戸に住んでいたとき、隣に住んでいた女は欲深く、人をいじめる性格だった。周囲の人たちは皆その女を嫌い、ひそかに「狼」と呼んでいた。
その「狼」はかつて、ある子どもを引き取って育て、その報酬(養育費など)を受け取っていた。報酬がまだ入らないうちは、その子を自分の実の子のようにかわいがっていた。しかし、いったん金を受け取ると、まるで用済みかのようにその子を見捨てた。これが人々が彼女を「狼」と呼んだ理由である。
子どもはわずか三歳だった。最初にその家に来たときは、ふっくらした頰をしていて、よく笑い、本当にかわいらしかった。
けれども、しばらくすると、やせ衰えて見るにしのびない姿になってしまった。なぜか?
お腹がすいても、ろくに食べ物を与えられず、喉が渇いても水をもらえない。誰がその子を手を引いて歩かせるだろうか? 誰が布団に寝かせてやるだろうか?
言葉もうまく話せず、考えることもできない年齢の子だった。自分で倒れて泣いても、「狼」に怒られるのを恐れて、声をあげて泣くこともできなかった。
その子は、怒りや悲しみを胸に押し込め、血のにじむような涙を流しながら、まるで牢に閉じ込められた囚人のようだった。