1.貞丈家訓
江戸時代中期の故実家伊勢貞丈サダタケが遺す
非と云は無理の事也、
理と云は道理の事也、
法と云は法式也、
權(権)と云は權威也、
天と云は天道也
非は理に勝つ事ならず、
理は法に勝つ事ならず、
法は權に勝つ事ならず、
權は天に勝つ事ならぬ也
非とは道理の通らぬことを指し、
理とは人々がおよそ是認する道義的規範を指し、
法とは明文化された法令を指し、
権とは権力者の威光を指し、
天とは全てに超越する「抽象的な天」の意思を指す
天道に従って行動すべきであるということ
儒教の影響を強く受けたものであるとともに、
権力者が法令を定め、その定めた法令は道理に優越する
2.中世日本の考え
基本的に最重視されたのが「道理」であり、
「法」は道理を体現したもの、道理=法と一体の者として認識され
権力者は当然、道理=法に拘束されるべき対象であり、
道理=法は権力者が任意に制定しうるものではなかった
「権」は「道理と法令」に従うべきであって
自らが任意に「道理と法令」を制定できるものではない
中世日本の考えと「非理法権天」とは全く逆であった
3.楠正成との関係
室町期に正成の活躍を描いた『太平記』や『梅松論』には、
正成が「非理法権天」を使ったという記述はない
元禄期(1700年前後)井原西鶴が記した「本朝町人鑑」に
楠木正成が「非理法権天」の菊水旗を掲げたとする記述がある
瀧川政次郎等の考証により江戸時代に作られた伝承であると証明される
だが非理法権天の由来が正成に仮託されたことで
尊皇思想に結びつけられ、
非は理に劣位し、
理は法に劣位し、
法は権に劣位し、
権は天に劣位する と解釈が変わっていった
幕末期、明治期、昭和期に尊皇思想へと強引に結びつけられ
「天」は天子、天皇であり、全てに超越するという思想が生まれる
全く、本来の「非理法権天」の意味とは違った使われ方になる